美山のこと・・・その2

 美山に限らず田舎といわれるところを訪れる人はなぜ“ああ、いいところだ”と思うのでしょうか?
 それはきっと都会に比べて圧倒的に情報が少ないからだ、と思うのです。命やこころやを司る本能の脳に対してではなく、高度な知的活動を司る新しい脳に対する、生きる為だけにはあまり重要でもない情報が。
 都会には人間の五感に入る情報が溢れています。車の騒音や排気ガス、そこここで鳴り響く携帯電話の呼び出し音、溢れるほどの食べ物、広告の看板やネオンサインのけばけばしい明かりで夜でも明るい街、皮膚に纏わりついてくるアスファルトからの熱とエアコンの排気、駅や車内のスピーカーからは尋ねもしないのに一方的にインフォメーションが垂れ流される。
 それはすべて人工的なものが発するもので、都会にも自然のものがないわけではないけれども、それを上回って掻き消すほどのパワーで迫ってきます。
 都会に暮らす人々は好むと好まざるとに関わらず、そういった凄まじい量の情報に曝されます。
 自分の脳内で雑多な情報が整理できる内はまだ心身ともに健全なのでしょうが、ほとんどの人は情報処理のキャパシティーをオーバーし、情報の海で溺れそうになっているのではないでしょうか。
 田舎を訪れその空気の中に身体を置いてみると、いかに都会の日常は重い鎧を付けて生活しているかが分り、身が軽くなった気がします。
 まずからだを縛りつけていた重い鎧を取り払う。そして飾り気のない情報(=ありのままの自然)を見つめ、耳を澄まし、空気の匂いを嗅ぐ。できれば、その土地で採れたものを口にし、それらが育った大地に寝そべるともっといいでしょう。
 そうすると、人間も本来持っている生き物としての本能が共鳴し、喜び、ほっとできるところへ帰ってきたような安らいだ気持ちになります。
 都会に戻るとそんなことも忘れ、また元の情報氾濫する日常に引き戻されますが、田舎で本能を気づくことができたなら、活性された脳は暫くはうまく不要な情報をやり過ごすことができます。
 そしてまた情報に押しつぶされ頭がパンクしそうになった時、本能へ通じる回路の交通整理をする為に人は田舎へ戻って行くのでしょう。 


2003年・12月
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